沿革史
校章の由来
- 校章の両肩につき出たのは、「羽」を表し、「羽後」に通ずる意味と若人の「羽ばたき」を示す。
- 羽が2枚あるのは「男生徒」「女生徒」「全日制」「定時制」を考えたものである。
- 山峰(鳥海)は、羽後町という地域を表現し、稲穂は佐藤家五代の苦心にちなんで、この地方の主な産業を特徴づけたものである。
(佐藤家五代:信利 信栄 信景 信季 信淵までをいう)制定 昭和33年5月15日
(湯沢市 画家・今野五郎氏図案)
校 歌
作詞 本郷 隆
作曲 佐藤長太郎
- 鳥海の裾はろばろと 春風わたる浅黄空
散りくるかろき花びらを 染める希望の茜色
歌え若人羽後高の友 おお すずやかな その瞳
美しい未来の夢をたたえて - 馬音川はさやぎ風光り 峠をこえて飛ぶ雲よ
緑波うつ野を山を 羽ばたき勇むこの翼
集え若人羽後高の友 おお たくましきこの腕
新しい世界の光を浴びて - 豊かにみのる信淵の 大地はいまぞ黄金の海
いきとし生けるものみなの かがやく命この平和
学べ若人羽後高の友 おお ほがらかのこの校舎
はえある伝統の明知を誇れ - ああ北国にめぐりくる 美しきこの春秋よ
遠山かげも降る雪も なつかしきまち西馬音内
はげめ若人羽後高の友 おお にぎわえるこの郷土
明るい文化の香りは満ちて
学校の歩み
昭和23年 6月 湯沢南高校定時制西馬音内分校、田代分校付設
9月 西馬音内分校に普通科・家庭科・農業科、田代分校に農業科設置
昭和24年 4月 仙道分校設立認可され、家庭科・農業科設置
昭和26年 4月 三輪分室設置認可され、普通科・家庭科設置
12月 三輪分室を三輪分校に昇格
昭和28年10月 創立10周年式典挙行
昭和33年 4月 西馬音内分校・三輪分校を統合し、羽後高校となる。
仙道分校・田代分校は羽後高校所属
5月 15日新校舎移転 授業開始 校章制定 本日を開校記念日
6月 20日に開講式・記念式典挙行
昭和34年 3月 7日校旗樹立式
昭和35年 4月 家庭科2学級全日制課程として認可
5月 15日校歌制定 記念式典挙行
昭和37年 4月 田代分校と仙道分校を統合し高瀬分校と改称
全日制課程に普通科1学級増設 定時制課程に農業機械化設置
昭和38年 4月 全日制課程に普通科1学級増設 普通科3学級 家庭科1学級
昭和42年11月 高瀬分校校舎完成記念式典挙行
昭和43年10月 創立20周年式典挙行
昭和48年 4月 全日制課程に普通科1学級増設 5学級編成(普通科4、家庭科1)
定時制課程農業科募集停止
昭和50年 4月 高瀬分校全日制に移行 普通科1学級募集 定時制課程募集停止
昭和53年 3月 定時制課程廃制(分校として発足以来30年)
9月 創立30周年式典挙行
昭和56年 4月 家庭科募集停止 普通科12 家庭科2
昭和58年 4月 全学年普通科4学級
昭和61年 4月 高瀬分校募集停止
9月 新校舎完成 現在地に移転
11月 校舎改築落成記念式典挙行
昭和62年11月 高瀬分校閉校式
昭和63年 3月 高瀬分校閉校
10月 創立40周年式典挙行
平成 8年 4月 新入生より現在の制服に改定
平成10年10月 創立50周年式典挙行
平成11年 2月 羽後高校推進協議会設置 初会議
平成17年 4月 新入生より普通科1学級減 1学年3学級体制
平成18年12月 校舎バリアフリー化工事完了
平成19年 4月 全学年普通科3学級
10月 あきたわか杉国体 男子ハンドボール第3位
男子ホッケー第5位 女子ホッケー第5位
平成20年 4月 新入生より普通科1学級定員35名
10月 創立60周年式典挙行
平成24年 6月 全県総体 ホッケー部15連覇
8月 郷土芸能部 全国高校総合文化祭出場
平成25年 3月 女子ハンドボール部 全国高校選抜大会出場
7月 男子ハンドボール部 インターハイ出場
8月 郷土芸能部 全国高校総合文化祭出場
平成28年 4月 新入生より普通科定員80名
平成30年 7月 女子ハンドボール部 インターハイ出場
10月 創立70周年式典挙行
令和 2年 4月 新入生より普通科定員70名
令和 4年 4月 デジタルビジネス探究コースを設置
8月 給食の提供を開始